KGDR(キングギドラ)は、日本のヒップホップグループ。1993年にキングギドラ名義で結成!!!
まさにキングギドラという大怪獣が日本に上陸したような衝撃だった。
ジブラの力強い声と荒々しいフロー、ケーダブシャインの聞き取り易いフロー。
シンプルだが渋くて、癖になるトラック。
目次
何よりも衝撃だったのがZEEBRAの登場だろう。
もちろんギドラあってのジブラだが、存在感、発言力、カリスマ性、オーラ、生き様、ファッションセンス、、
Zeebra だけは別格のような輝きがあった。
しかし、今回はキングギドラ(KGDR)に注目してみよう
*↑キングギドラ[画像は2002年位のもの]
キングギドラの結成は1993年
その以前からZEEBRAは六本木や渋谷のJ-Trip BarでDJとして活動。幼馴染であるDJ OASISと共にユニットPOSITIVE VIBEを結成し、英語のみでラップしていた。
Kダブシャインがアメリカのオークランドに住んでいた際に、Zeebraに電話で日本語によるラップを聴かせたところ意気投合し、Zeebraの幼馴染であるDJ OASISを加えグループを結成したという。
K DUB SHINEは高校の時にアメリカ合衆国フロリダ州の高校へ留学。
帰国後はテンプル大学日本校に通ったが、後に中退した。
1980年代半ば頃にアメリカのヒップホップに出会い、後に自身もラップをするようになる。当初は、日本語はラップには向かないと考え英語でラップをしていたが、アメリカ人の友人に「何故日本語でラップしないのか」と問われた事をきっかけに、日本語によるラップを模索しはじめたようだ。
つまりケーダブもジブラも最初は英語でRAPをしていたようだ。
キングギドラは
1995年に発表したデビュー・アルバム『空からの力』は日本のヒップホップ界のみならず、幅広い音楽シーンに影響を与えた。
それまでの日本語ラップの概念を根底から覆すライム表現と強いメッセージ性、社会意識の強さとライヴ・パフォーマンスが大きな話題を呼び、HIP HOP界のみならず、日本の音楽シーンに旋風を巻き起こした。
しかし1996年に活動を停止(事実上の解散)。
その後はソロとして各々活躍をした。
HIP HOPをオーヴァー・グラウンドへ導いたZEEBRA。98年に初のソロ・アルバム『THE RHYME ANIMAL』を発表。
99年にはDragon Ashの『GREATFUL DAYS』に客演したことが
HIP HOPをオーヴァー・グラウンドへ導いた として有名だ。
テレビにもよくでている。
K DUB SHINEも日本語ラップの韻(ライム)のスタイルが変わったと言われる革命児であり、オリジネイターでもある。
洗練された文学的な韻表現と社会的な詞の世界観は、さまざまなメディアで高い評価を獲得した。
K DUB SHINE – Save The Children
さらにDJ OASISも凄い!待望のメジャー・ソロ・アルバム『東京砂漠』を発表したのである。
何と自分自身でもRAPを披露!!しかも本当に上手くてかっこいい!!
そんなソロ活動もあり、2002年に期間限定で再結成。
2011年に2度目の再結成をし、現表記KGDRに改名。
略称はKG、ギドラ。
日本のヒップホップ・シーンで最も影響力を持つグループの1つとしてあげられる。
ジブラに憧れてRAPを始めたB-BOYは本当に多い!!
キングギドラの凄さは今も各々第一線で活躍している事だ。
ZeebraもK dub shineもTV出演など多く認知されているし現場にも出演している。
DJ OASISも今でも平日だろうが現場(クラブ等)でDJを続けている。
また いつかKGDRの新曲が聞きたい!!
そう期待しているB-BOYは多いはずだ。