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「マタアイマショウ」「ルパンザファイヤー」などのヒット曲で知られるのはラッパーのシーモの記事。
シーモはもう一度紅白に出たい、武道館に立ちたいと考えているようだ。
SEAMOは2006年の「NHK紅白歌合戦」に出場し、2008年には日本武道館で単独ライブを開催。
しかし、次第にテレビで彼の姿を見る機会は減った。
もはや、ああ「あの一発屋ね」と言われているかもしれない。(一発あてるだけでも凄いけど!)
現在は地道に音楽活動を続けつつ、なんと馬主もしているという!!
2006年「マタアイマショウ」「ルパン・ザ・ファイヤー」など大ヒット曲を連発したラッパーのSEAMO。
同年、「NHK紅白歌合戦」に出場し、2008年には日本武道館で単独ライブを果たすという、ミュージシャンの夢をかなえた男だ、ラッパーとしてはかなり成功した男だ。
しかし気がつけばテレビやチャートからは姿は見なくなった。
クラブシーンやヒップホップシーンからの動きも見れなかった、ヒットをとばしたラッパーは自らやりたい事をする!と言って売れそうな曲ではなく自分の好きな音楽をやるパターンもある。
つまり、「売れなくなったのは好きな音楽をやっているから」なだけであり、ドープな新たなファンを獲得している可能性もある。
他のパターンは三木道三のように海外生活をしていたものやあまりヒット曲は出さないがコンスタントに楽曲を出しイベントなどに出続けていたり他のアーティストへの曲の提供に回ったりするアーティストもいる。
おそらく
シーモはそれらのパターンではなかったようだ。
売れたいのに売れなくなったようだ、、
人間性も悪くない、スキャンダルもなかった。
その間シーモは辛い思いをしたようだ。
特につらかったのは、レコード会社を移籍した2012年ごろという。会社とコミュニケーション不足に陥り、マネージャーは頻繁な交代を繰り返す。
「マネージャーがいない時期すらあった。孤独でした。とにかく、音楽を作りながら、じっと耐えるしかなかった」
もう一度這い上がろうと、曲作りやボイストレーニングを地道に続けたという。
しかし何をやっても結果が出なかったという。
なぜ、SEAMOは売れなくなってしまったのか?
シーモ自身が分析すると
「実際は、ラッキーの積み重ねだったんだろうと。ラブソングでメロディーがベースにあるラップの『マタアイマショウ』とか、『ルパン三世のテーマ』に日本語ラップをのせた『ルパン・ザ・ファイヤー』のアイデアは“早いもの勝ち”だった。人々が欲しているタイミングでいち早く、時代の大きな追い風に乗れた。だけど、本当にそのポジションに立つための自分自身のスキルは足りなかったのかな、と今は思うんです」
まだCDが売れたギリギリの時代だったのもあるだろう。
年収は一時、絶頂期から比べると大幅に減少したという。それでも印税や楽曲提供もあり、ただちに食えなくなるってことはなかったという。
シーモは
「もう一度メジャーデビューしたいって、がむしゃらでした。名刺に『ディレクター』とか『A&R』とか、肩書がある人にはガンガン営業しました。ある会社の社長さんには、『新幹線の移動中なら時間が取れる』ってことで、横に乗り込んで、デモテープを聴いてもらったりして。あるレーベルの方には一晩じゅう連れまわされて、酔っぱらいに『今ここで歌ってみろよ』って言われたりとか。クソミソなこともありましたけど、ガッツはあったかな」
泥まみれになりながら上を目指した当時の経験は、SEAMOのハートを強くしたという。
シーモは実はビーボーイにも認められた本物のラッパーだった。地下から這い上がったラッパーだった。
「シーモネーター」として活躍していた時代がハートの強さを作ったのだろう。
2002年に「シーモネーター」という名前でメジャーデビューするも、約1年でレコード会社から契約解除されている。
アキラ100%が登場する20年以上前から、“全裸・腰に天狗のお面”というインパクトある姿で、東海地区ではかなりの有名人だった。
シーモネーター
シーモネーター& DJ TAKI-SHIT – シーアタッカー2000 (2001) full
そんなシーモが再びシングルを出す、この復活劇は紅白よりも、武道館よりも嬉しかったという。
絶頂期でもSEAMOの自宅はずっと名古屋市内にあったという。東京に住んだことはない。地元に対する思い入れの強さもあるのはシーモが地元をリプレゼントしている証拠だろう。ポップで売れたが、やはり根っこはビーボーイなのだろう。
名古屋のミュージシャンたちからは「塾長」と呼ばれ、地元ヒップホップ界では重鎮として知られるSEAMO。現在はFM局でレギュラー番組も持ち、多忙な日々を送る。同郷で知られる映画監督の堤幸彦が監修したSEAMOのドキュメント映画「もしもあの時 “if”」も公開された。
10年かけてゆっくりと長いトンネルを抜けつつあるSEAMO。実は、馬主としても知られた存在という。
SEAMOの場合、馬を「共同所有」するスタイルだ。
「共同馬主、一口馬主なんですよ。例えば、2000万円の馬がいるとして、400人で割ると、1口5万円。それくらいの金額で馬に出資ができて、毎週その馬の近況も得て、楽しむ。まあ、どっぷりハマっていきまして(笑)。そんなに多くは儲からないんですけど、馬が『見える』ようになっていくんです。そうすると、たまに当たりの馬も引けるようになったり」
競馬を通して、多くの友達にも恵まれた。
「年に何回か、馬を見るために一緒に北海道に旅行するのがライフスタイルになりました。競馬の予想番組に出たり、競馬場でライブしたこともあります。下手すれば、その辺を歩いてるより、競馬場にいるほうが声かけられるんじゃないかっていうくらい(笑)」
一頭馬主はリスクも大きいし資金力も必要との事でまだ一頭馬主ではないようだ。
しかも馬主は儲けじゃなくて、ロマンのためにやっているという。
シーモは本当に真面目で謙虚で努力家という噂だ。
競馬のラップなどをすればまたヒットするかもしれない。。