最低限チェックすべきラッパー:N

Aは アトライブコールドクエスト
Bは ブラックアイドピーズ
Cは COMMON
Dは DE LA SOULと DR.DRE
Eは Eminem
Fは Fugees
Gは Gang starr
Hは helter Skelter HOUS of PAIN
Iは Ice Cube
Jは Jay Z
Kは kendrik ramerとKRS-ONE
Lは LL COOL Jやludacriss
Mは Mobb DeepとM.O.P

そして今回はNから始まるチェックすべきラッパーだ。

Nから始まるチェックすべきラッパーはNAS Nellyそして the notorious B.I.Gだ。

まずはナズ
Nas
1973年9月14日 生まれ

元妻はR&B歌手のケリス(2005年 – 2009年)

ナズ(Nas)の凄さはどこにあるのか?

ナズの凄さは文学性の高い深みのあるリリックだ。

題材は、麻薬の売買やギャングスタの生活を題材としたギャングスタ・ラップから、ゲットーの現実や、そこから抜け出そうというポジティブなメッセージ、世界情勢などを題材にしたコンシャス・ラップまで幅広い。

Nas – Nas Is Like

デビュー・アルバム『イルマティック』は極めて高い評価を得ている。

Nas – Represent (Official Video)

ニューヨーク市のブルックリンに生まれ父はジャズ・ミュージシャンのオル・ダラ(Olu Dara)。

ナズは学校を8年生で退学し、そのころからドラッグの売人となる。

退学をしてもナズは勉強を続け、クルアーンや聖書、5%ネイションの教書を熟読する。

幼いころのナズは、漫画家になるか、父のように楽器奏者になろうと思っていたが、ヒップホップに親しんでラップも早い時期から始めていた。

ファースト・アルバム『イルマティック』をリリースした際は世界に衝撃を与えた。

当代随一のリリシストであるナズのラップに加えて、ラージ・プロフェッサー(Large Professor)、ピート・ロック、DJ・プレミア、Qティップ(Q-Tip)ら当時のニューヨークのトップ・プロデューサーがこぞって参加した本作は多くのヒップホップ雑誌から高い評価を受けた。

その後1996年にはトラックマスターズ(Trackmasters Entertainment)、ドクター・ドレーらを製作陣に新たに迎え、前作と比べR&Bテイストも増した2ndアルバム、『イット・ワズ・リトゥン』をリリース、全米チャート初登場1位を記録し、瞬く間に300万枚を売り上げることとなる。

Jay Z V.S. Nasのビーフ(対立)も話題になった。

元々はJay Zが楽曲「Dead Presidents」にてNasの「The World is Yours」のラインを勝手にサンプルしたことがきっかけで始まったビーフであるが、Jay Zは元々この1stアルバム「Reasonable Doubt」にNasをフィーチャーしたがっていたのだ。

その後JAY Zの「Takeover」やNASの「Ether」などの歴史に残るハードなトラックが生まれるわけである。




次に最低限チェックすべきNから始まるラッパーは

NELLY
ネリーだ。

テキサス州生まれ。軍人である父の仕事の関係で、生後まもなくスペインへ3年間ほど在住し、後にミズーリ州・セントルイスへ移り住む。

プロ野球選手になる寸前まで行くが、高校時代に知り合った仲間で結成されたチーム、セント・ルナティックスと共にプロのラッパーになる道を選ぶ。

ネリーのラップの特徴は歌うようにラップするスタイルだ。
それまではいかに言葉を詰め込みフロウするかが、上手い下手と別れたようにも思える。それをネリーは流れるように歌いあげたのである。更にアメリカの東西しか注目されていなかった傾向を中西部アメリカのヒップホップとして注目させた一人がネリーだ。

影響を受けたラッパーには、ラキム、LLクールJ、Run-D.M.C.、アウトキャスト、グッディー・モブ、ジェイZを挙げている。

1999年にリリースされた1stシングル「カントリー・グラマー」は、“歌うようにラップする”というスタイルが受け大ヒットした。全米の主要ステーションでは「これぞフューチャリスティック・ダウン・ボトム・バウンス・ビート!」と大絶賛され、ファンキーで独特の味がある“田舎コトバ”も「何を言っているか分からないけれど、オモシロイ」と素直に受け入れられた。

2000年7月、このシングルを含むデビュー・アルバム『カントリー・グラマー』は、発売第1週で25万枚のセールスを記録、ポップ・チャートもエミネム、ブリトニー・スピアーズに次いで堂々初登場3位をマークした。

ビルボードHot R&B/HipHopチャートでは5週連続1位、アルバムTop200でも2週連続第1位を獲得。2ndシングル「E.I」の大ブレイク、そして続く「ライド・ウィッミー」のヒットを受け、『カントリー・グラマー』はラップ・アルバムとしては異例の約1年以上に及ぶビルボード長期チャート・インを果たし、全世界での売上も1000万枚に達した。

日本では未だに「ライド ウィズ ミー」はプレイされる。

Nelly – Ride Wit Me ft. St. Lunatics

2002年6月、セカンド・アルバム『ネリーヴィル』をリリース、ビルボード・アルバムTop200で堂々1位、全世界1000万枚以上のセールスを記録する特大ヒットとなる。

ザ・ネプチューンズが手掛けた「ホット・イン・ヒア」を皮切りに、デスティニーズ・チャイルドのケリー・ローランドとデュエットした「ジレンマ」は、その年最大のヒット曲となり、全米シングル・チャート連続No.1を獲得した。
Nelly – Dilemma ft. Kelly Rowland

さらに「エア・フォース・ワンズ」、「ガールフレンド」のお返し的にジャスティン・ティンバーレイクをフィーチャーした「ワーク・イット」が立て続けにヒットし、2002年度グラミー賞など数々の賞を受賞した。

2009年、2月4日に日本独自企画盤のベストアルバム『ザ・ベスト・オブ・ネリー』をリリース。日本の女性R&BシンガーDOUBLEと収録曲「ワン・アンド・オンリー feat. DOUBLE」で初の日本人との共演も果たす。




そして Nから始まるラッパーで最もチェックすべきラッパーはBIGGIEこと

The notorious B.I.Gだ。

最近日本のラッパーはフリースタイルから入る若手が多い、そんな若手をディスる時によく言われるのが
「お前チェックしろ2PACとBIGGIE!!」的な事だ。

The Notorious B.I.Gは
身長190cm、体重136kgの巨漢のラッパー。
通称 Biggie

2006年にMTVが発表した偉大なヒップホップMCランキングでは、ジェイ・Z、2パックに次ぐ第3位にランクインされた。

The Notorious B.I.G. – “Big Poppa”

生い立ち
ノトーリアス・B.I.G.は、1972年5月21日にニューヨークブルックリンに生まれ。

父親は2歳の時に蒸発

17歳の頃、武器の不法所持で逮捕され、5ヶ月の執行猶予判決を下される。

これを機に、クラックコカインディーラーとして働くため、通っていたジョージ・ウェスティンハウス情報技術高校を退学。

麻薬の売人時代も彼のカリスマ性からよく知られた存在だった。

また地元では、フリースタイルラップ・キングでもあった。

あくまで噂の話しだがビギーのデモテープのエピソードがある。
草を売る際にカモフラージュとしてデモテープに草を入れて相応の金額で売っていた、
ある日仲間から「おいビギー、今日もデモテープ欲しいんだよ」「すまねえ、今、草がねえんだ、、」
「ちげーよ!!俺はお前のRAPが聞きたいんだ!」
そうしてstreetではデモテープだけでも売れるようになった、、

そんな話しを聞いた事があるが、調べてもビギーのエピソードかは定かでない。
別のラッパーの話しか?もしくはその話しが作り話か?

しかし、それほどのロマンがある、データ通信で音源が出回るのは簡単で便利だが、実際に音源を物をで売る意味は深い。

ビギーのデモテープのエピソードは有名だ。
特別な機材はいらないターンテーブルのミキサーにマイクを刺して「はい、録音!一発録り」という物だったらしい。
そのデモテープをビッグ・ダディ・ケインのDJ、ミスター・シー(Mister Cee)が聴き、さらにヒップホップ雑誌『The Source』に紹介。

同雑誌の新人紹介コーナー「Unsigned Hype」に登場した事を機にショーン・コムズに見出される。

メアリー・J・ブライジの「リアル・ラヴ」「ホワッツ・ザ・411?」のリミックス、クレイグ・マック(Craig Mack)の「Flava In Ya Ear」のリミックスなどの客演を経て、B.I.G.名義のデビュー曲「Party And Bullshit」をサウンドトラック『Who’s The Man』(1993年)に発表!

1994年にデビューアルバム『レディ・トゥ・ダイ』をリリース。

アルバムは名声をビギーにもたらした。 この作品はヒップホップアルバムとして屈指の名作として名高く、現在でも大きな評価を得ている。
Respect – Biggie

また当時西海岸が主流だった風潮に東海岸の興隆を見せつけた。

アルバムがリリースされる少し前に、ビギーは2パックと交友を深める。

1994年にはマディソン・スクエア・ガーデンで2パックと共演!

しかし、2パックが同年11月に銃撃され、犯人としてビギーとその周辺を疑ったことにより、彼らの仲は一気に険悪にな、、

2パックが所属するデス・ロウ・レコードと、ビギーが所属するバッド・ボーイは1990年代の二大ヒップホップレーベルだった。

2パックが銃撃され死亡した際に、「敵対するビギーの指示では」との噂が流れた。

その後、今度はビギーがロサンゼルスでヒップホップ雑誌『VIBE』主催の「Soul Train Music Award」パーティーの帰途に銃撃を受け、セカンドアルバムリリース前の1997年3月9日に死亡した。

ビギーのマネージメント、プロデュースを行っていたディディは、すでに録音を済ませていた2枚組のセカンドアルバム『ライフ・アフター・デス』をリリースする。このアルバムは1000万枚を売り上げ、ビギーを伝説の存在にした。

2005年12月、数々のトリビュート・アルバムは発表されていたが、公式なアルバムとして豪華客演(ディディ、エミネム、ジェイ・Zほか)を集めた『デュエッツ:ザ・ファイナル・チャプター』がリリース

もし2PACやビギーが生きていたら、、今のHIP HOPシーンでも現役でいただろう。
残念でならない。




Facebook にシェア
LINEで送る
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA