菊池成孔のHIP HOP

菊地成孔を知っているB-BOYはわりと多い。
1963年生まれにも関わらずラップをしているミュージシャンは少ない。
いや50代のラッパーは今やさほど珍しくないが、菊地成孔がラップを始めた年齢が驚く。

ジャズドミュニスターズが結成されたのが2010年なのでそれよりも前から遊びの延長でラップしていたようだが、2009年頃から始めたとして菊地成孔は45歳くらいからラップをし始めた事になる。

それにしても独特な韻の踏みかたで独特なフロー。しかし、完璧なリズム、、所々に規則的なリズムじやなくても必ずビートにあう。
それはポエトリーリーディングスタイルの時もそう。心地よくビートと絡む。

菊池成孔は「HIP HOPはJAZZの孫、だからJAZZ MusisianはHIP HOPに優しいし大好きだ」と語る。おじいちゃんは孫には優しいもんな。

ジャズドミュニスターの菊地成孔とは何者なのか?
JAZZ DOMMUNISTERSは2010年に結成された菊地成孔と大谷能生によるヒップホップ・クルー。

最近ではアルバム『Cupid & Bataille, Dirty Microphone』(TABOO、2017年6月)を発表しB-BOYの間でも話題に登る。

JAZZ DOMMUNISTERS
2nd Album『Cupid & Bataille, Dirty Microphone』
2017/06/07 発売
通常価格¥3,024(税込)
HYBRID CD/VRCL-10133

  1. Illunatics feat. 菊地凛子
  2. 悪い場所 feat. 漢 a.k.a. GAMI
  3. KKKK
  4. 夜の部分
  5. One for Coyne
  6. Drive 2 Drive feat. OMSB
  7. 革命 feat. I.C.I
  8. 秘数 2+1
  9. 反対の賛成
  10. あたらしい悲しいお知らせ feat. I.C.I, OMSB
  11. Riot In Chocolate Logos
  12. Nite Drive feat. Bim, I.C.I
  13. Blue Blue Black Bass feat. 漢 a.k.a. GAMI

以上のように豪華メンバーがfeatしている。
特にフリースタイルダンジョンで一気に知名度のあがった漢が参加しているので漢ファンにも注目されている。

ヒップホップとしてのキャリアはそこまで長くない菊地成孔だが、音楽家としてjazz menとしてのキャリアや功績は凄まじい。

そしてそんな凄い音楽家がヒップホップをやっているところが凄い!

菊地 成孔(きくち なるよし、1963年6月14 )は、千葉県銚子市出身

ジャズ・ミュージシャン、文筆家、作曲家。

銚子市立銚子高等学校を経て、音楽学校メーザー・ハウスサックス科卒業。作家の菊地秀行は実兄。

菊地 成孔
生誕 1963年6月14日(56歳)

菊地成孔は自分で語るようにjazz界きっての悪童。
型にはまらないそのスタイルはjazzファン以外からの支持も多く受けている。

菊地の関わるジャンルは実に多様で、
ジャズ、モダンジャズ、ハード・バップ
ファンク、ジャズファンク、アフロビート
実験音楽、前衛音楽、ディスコ、ハウス
テクノポップ、ポップミュージック
そしてヒップホップ

その他にもJ-POP、アイドル歌謡曲、アニメソング
などなど活動の場は多岐にわたる。

菊地成孔の事を知るには
公式サイト 菊地成孔の第三インターネット – naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEMEを見たり

ラジオ番組「菊地成孔の粋な夜電波」を聴くと良いだろう。軽妙なトークにハマる人は続出、オープニングトークを聞いてしまったら、彼の軽快なトークから耳が離せなくなること受け合いだ!

1983年
加藤賢崇、岸野雄一らによるバンド、「東京タワーズ」のファンクラブ(常盤響創立)の会誌「京浜通信」に盛んに執筆。その一部は2015年にリリースされた10枚組CDボックス「21世紀の京浜兄弟者」の封入冊子として再録されている。東京タワーズ周辺の音楽家集団「京浜兄弟社」と交流。
1984年
ジャズの専門学校「メーザー・ハウス」に。学科はサックス。兄の菊地秀行に借金してテナーを買う。在学中に教えを受けた講師に橋本一子がいた。
1986年
メーザー・ハウスでの仲間を中心に「TIPOGRAPHICA」を結成。
1989年
「ニューエスト・モデル」、「メスカリン・ドライヴ」のレコーディングの全てのホーンズを担当。
1992年
ハラミドリ、河野伸と共に、「SPANK HAPPY」結成。
1993年
「山下洋輔ニュー・トリオ」に参加。
「菊地成孔トリオ」活動開始。
1995年
大友良英の「GROUND-ZERO」に参加。
1997年
11月にSPANK HAPPYから河野伸が脱退。
TIPOGRAPHICA解散。
1998年
「壊死性リンパ結節」にかかり東京女子医大・耳鼻咽喉科に約2カ月入院。生死を彷徨う。
10月にSPANK HAPPYからハラミドリが脱退。
1999年
「東京ザヴィヌルバッハ」開始。「DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN」始動。
「大友良英ニュー・ジャズ・クインテット」に参加。
2000年
岩澤瞳をヴォーカルに迎え、SPANK HAPPYを再開(第二期)。
2002年
「ペンギン音楽大学」創設。
2003年
初エッセイ集『スペインの宇宙食』刊行。
2004年
東京大学駒場キャンパスにて音楽講義(「12音平均律→バークリーメソッド→MIDIを経由する近・現代商業音楽史」)。
「菊地成孔」名義でジャズリーダーアルバムを初リリース。
『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール 世界の9年間とコマ劇場裏の6日間』を刊行。
講義録『憂鬱と官能を教えた学校 「バークリー・メソッド」によって俯瞰される20世紀商業音楽史』刊行。
4月5日、SPANK HAPPYから岩澤瞳が脱退。
2005年
ソロアルバム「南米のエリザベステイラー」を演奏するためのバンドとして、ペペ・トルメント・アスカラール結成。以降「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」名義でアルバムを発表していく。
2006年
国立音楽大学、非常勤講師に就任。
SPANK HAPPY解散。
2007年
DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN活動終了。
「菊地成孔ダブ・セクステット」結成(メンバー:菊地成孔(ts) 類家心平(tp) 坪口昌恭(p)鈴木正人(b) 本田珠也(ds) パードン木村(dub))。
2010年
DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN、「DCPRG」名義で活動再開。
2011年
ジャズの名門レーベル「インパルス!レコード」と契約。日本人ジャズミュージシャンとしては初の快挙。


個人事務所「ビュロー菊地」を設立。
2012年
菊地成孔ダブ・セクステットに駒野逸美(Tb)が加入。新たに「菊地成孔ダブ・セプテット」として始動。
ニコニコチャンネルにて「ビュロー菊地チャンネル」を開設。日記・映画評・グルメエッセイなどのメルマガ、ポップアナリーゼなどの動画コンテンツを配信。
2013年
個人事務所「ビュロー菊地」が法人格を取得し、菊地が代表取締役に就任。事務所移転に伴い歌舞伎町を去る。ソニー・ミュージックアーティスツ子会社のヴィレッジミュージックへの移籍を発表。自身のレーベル「Taboo」を設立。

今後も楽しみである。

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