B-BOYがHIP HOP以外でチェックすべき音楽 (サーフロック編)

B-BOYがヒップホップ以外にチェックするならサーフロックも面白い。以前紹介したサブライムもその一つのバンド。

ヒップホップの角をとって丸く丸ーくした感じの曲も多く、ラップのように歌う曲もある。
波に乗る感じだ。

まずは

G・ラヴ
サーフミュージックシーンの先駆者だ。

dreamin-’02

ジャズやブルース等のルーツ・ミュージックとヒップホップを融合させた”ラグ・モップ”を確立し、サーフ・ミュージックの先駆者としてもシーンを牽引するG・ラヴ、

バンドだとG.love&the special source

オリジナル・メンバーは
ジミー・プレスコット、
ジェフリー・クレメンズ

ビースティ・ボーイズ等とも協力して作られた曲もありジーラブの音楽は幅広い。

90年代初期に彼らが開拓した“ヒップホップ・ブルース”はチェックすべきだ。

彼らの音楽的ルーツへの愛に溢れたピースフルかつ力強い作品はチェックすべきだ。

G.loveは
本名ギャレット・ダットン・三世

1972年10月3日生まれ
フィラデルフィア出身

彼がフロントを務めるG・ラヴ&スペシャル・ソースの略称としても「G・ラヴ」と呼ばれることがあり紛らわしいが、正確にはギャレット個人のミュージシャン・ネームを指す。

フィラデルフィアに生まれ、12歳ごろから本格的に音楽を始める。大学中退後、ボストンでジミー・プレスコットとジェフリー・クレメンズと出会い、スリーピース・バンド・G・ラヴ&スペシャル・ソースを結成。以後10年以上にわたって独自の音楽活動を展開している。

既婚者で一児の父でもある。




そしてG.loveが見いだした天才も忘れちゃいけない。
それがjack jonsonだ。

ジャック・ジョンソンは1975年5月18日、ハワイ・オアフ島出身

緩ーいリズムのサクセスストーリーは常に笑顔があるようだ。
通信サクセスストーリーとは苦労と失敗の連続、批判と苦悩の繰り返し。そんな苦労話しを想像するが、ジャックのサクセスストーリーは笑顔でゆるーくやってたら成功した!もちろん苦労もあったろうが、そんな風に思える。

↑Jack johnson / jungle gym

HIP HOPを凄ーく!ピースにしたら、こうなる!みたいな曲。

ジャックジョンソンのサクセスストーリーは以下の通り

幼い頃からサーフィンに慣れ親しみ、高校生になる頃には世 界最高峰のサーフィン大会である”パイプライン・マスターズ”にも出場。
Quicksilver社とプロ契約も結んだ。

しかし17歳の時、サーフしている最中に海底の珊瑚礁に身体を叩きつけられ、頭蓋骨にヒビ、頭部 を100針以上縫う大怪我をしてしまう。

これを機に、以前から趣味としていたギターにのめり 込むようになったという。

高校卒業後は、カルフォルニア大学サンタ・バーバラ校に進学。「昔から、ボロいカメラで友達のライディングを撮影しては、好きな音楽をのせて VHSに編集するのが好きだったんだ」というジャックは、専攻を数学から映画へと変え、卒業後、本格的な映像制作に着手。

そして1999年、サーフ仲間のマロイズと組み、最初のサーフムーヴィー『シッカー・ザン・ウォーター』 を完成させる。

世界を代表するトップ・サーファー達の姿を捉えたそのドキュメントは、世界中のサーファー間で評判となり、アメ リカを代表するサーフ誌=『Surfer』では最優秀ビデオ賞も獲得する。

革命的と言われたジャックのサーフムービーはオーガニッ クな作品だ。
そして映像同様に強烈な印象を残したのが音楽だった。

それまでのサーフムーヴィーの中で定番だったのはハードなロック、しかしジャックのサーフミュージックはシンプルでアコースティックな優しいサウンドを中心だ。

そんなジャックの音楽の才に、いち早く注目したのがGラヴだった。1999年リリースの4作目『フィラデルフォニック』にジャックの「ロデオ・ クラウンズ」を採用、それはアルバムからの1stシングルにもなった。

同じ頃、ベン・ハーパーが設立したインディ・レーベル=エンジョイ・レコーズの第1弾アーティストとして、レ コード契約を結ぶ。

2作目のサーフムーヴィー『セプテンバー・セッションズ』の撮影と並行して制作されたデビュー・アルバム『ブラッシュファイアー・フェアリーテ イルズ』は、2001年の2月にリリースされた。

ジャックジョンソンのアルバムはアコースティック中心のメロウでシンプルなサウンドを基本に、レゲエ、ラテン、ヒップホップなどの要素も 取り入れたミクスチャー・スタイルは、サーファーを発信源にファッション関係やクリエイターといった感性豊かな人々へと、徐々に徐々に口コミで広まって いった。

そうして時間を掛けながら、インディーズで20万枚以上をセールス。そして2002年になって改めてユニバーサルからのメジャー流通に乗ると、遂 にはミリオンセラーを記録してしまう。

レーベルによる大掛かりなプロモーションの力を借りずに駆け上ってきたシンガー・ソングライターに世界が注目し始める頃、ジャックは映像製作の ために立ち上げた”The Moonshine Conspiracy”の音楽部門として、”ブラッシュファイアー・レコーズ(BFR)”を設立。

2003年に同レーベルからの作品
ビルボード初登場3位

勢いは衰えることなく、2005年2月

3枚目のオリジナル・アルバムは全米チャート 最高位2位を獲得した 

2006年には、映画『キュリアス・ジョージ』のサウンドトラック発表、こちら も全米チャート1位を獲得した。

キュリアスジョージ、、つまりNHKのEテレでやっている「おサルのジョージ」だ。

ここで粋なのがジャック

何と絶頂期にも関わらず活動休止を宣言した。

家族との時間を最優先させたのだ。

そして
2008年に届けてくれたアルバム『スリープ・スルー・ザ・スタティック』では、愛情、友情、出会い、別れ、平和、戦争、喜び、悲しみについて歌っている。

ついにアルバムは、全米アルバム・チャー ト1位(オリコン総合アルバム・チャート初登場6位)を獲得。




サーフロックを不動の物とした

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