また見つけてしまいました。しかし、このブログ、、空耳ピックアップになりそうで怖いです、、いやいや、ビースティーボーイズの実験的音楽は功績として称えたいです。
サムネイルは違う曲ですが、サムネイルに引かれ導かれて見に行く人も多いでしょう。(笑)
ビースティーボーイズは日本語で「足なつりそう」と言うております。
元ネタは↓
こういうわざと荒いエフェクトがかかってる曲は昔よくありましたね!
あえて、汚い音にするHIP HOPもカッコイイです。
いかにも宅録で録ってエフェクトで誤魔化しました!的な雰囲気が出てます。
もちろんビースティーボーイズは宅録を誤魔化しているわけではないと思います。
ビースティ・ボーイズ
1978年に結成。1983年の実験的なヒップホップ・シングル「Cooky Puss(英語版)」で地元での成功を収めた後、ビースティー・ボーイズはヒップホップへの完全な移行を行った。
1986年にデビューアルバム『Licensed to Ill(英語版)』をリリースし、ビルボード200チャートでラップレコードとして初めて首位に立ったのだ!
2011年までビースティーボーイズはコンスタントに作品を作り続けた。
ビースティ・ボーイズは米国で2000万枚のレコードを売り上げ、ビルボードが1991年に売上を記録し始めて以来、当時最も売れたラップグループとなっていた。
1986年から2004年までに7枚のアルバムがプラチナセールスを記録し、ビースティ・ボーイズは、世界で最も長く活動を続けるヒップホップ・グループの一つであった。
更に
2012年、ロックの殿堂入りを果たした3組目のラップグループとなった。
しかし、、、ヤウクが癌で死去し、マイクDとアドロックはヤウク無しでの音楽活動はありえないと判断し、音楽活動を休止。
バンドの自叙伝の執筆や映画制作活動を開始。2018年には 『Beastie Boys Book』2020年には『Beastie Boys Story』(監督スパイク・ジョーンズ)を公開した。
輝かしい記録と賛否両論
ビースティーボーイズは奇抜な曲が多い、ロックを基盤にしている曲が多く、PVでの服装も奇抜だ。
ヒップホップアーティストといえばダボダボな服に帽子。そんな定説を覆すかのような自由な衣装。
ヒップホップを馬鹿にしてるのか?とまで評論する物さえいた。
黒人文化から生まれたヒップホップに割り込んできたのだから批判はあっただろう。
しかし、黒人文化に割り込んできたのではなく独自の音楽性を貫いていただけなのでしょう。
まさにオールジャンルなヒップホップ。
ビースティーボーイズはビースティーボーイズなんです。
ラップロックのひな形を作りあげた。数多くの独創的な功績を残しており、ヒップホップからロック、さらにはクラブ・ミュージックにまで広大な影響力を及ぼした。リック・ルービンからは、「ヒップホップを郊外へ持ち出した」と評されている新しい、ぶっ飛んだクールな音楽をビースティーボーイズは、ずっと探求していたのかしれません。よくビースティーボーイズは「あいつらはヒップホップじゃない」といわれますが、新しくぶっ飛んだクールな音楽を探求した姿は一番のヒップホップだったと思います。