デブラージ死亡、、死因とは?どんな死因でも悲しすぎる。

デブラージから日本語ラップの伝説は始まった、、といっても過言ではないだろう。

HIP HOPには色々定義があるが、「常識」「定義」「固定概念」「社会規範」「お手本」「教科書」それらのお堅い言葉を跳ね飛ばす力がある。

HIP HOPに救われた人生の者はもはや日本でも無数にいる、これからも増える。

それを日本でいち早く証明した一人がデブラージだった。

 

 



現在日本の音楽シーンに当たり前のように馴染んでいる
日本語ラップ
2000年代はJ-popシーンでのランキングに日本語ラップ主体の曲がランクインする事もしょっちゅうだった。今は日本語ラップ主体の曲がランクインする事は少ないが、日本語ラップ愛好家は確実に増え、POPmusicにも日本語ラップを取り入れられ完全に馴染んでいる。
そんな(POPとは違うが)日本語ラップの先駆者であるDev Large (デブラージ)が亡くなった、、そんな悲報が飛び込んできたのが2015年5月4日。
友人でありライバルであるk dub shineのTwitterで悲しみの報告をしたので、日本のB-BOY達はざわついた。
死因などはいまだ不明だが、まだまだ若かった。
1969年生まれなので、おそらく46歳か47歳、本名は今 秀明(こん ひであき)日本のヒップホップミュージシャン、MC、トラックメイカー、プロデューサー、DJ、リミキサー。1990年代にBUDDHA BRANDのMC、リーダーとして活動していた。
渋谷区代々木に生まれ、小学4年生時に親の転勤に伴い、ニューヨークに引っ越す。
1988年19歳で再び渡米。ニューヨークでCQ、NIPPS、DJ MASTERKEYらと出会い、「うわさのチャンネル」(のちに”Numb Brain Buddha Brand”と改名)を結成。
1990年、さらにBUDDHA BRANDと改名し、本格的に活動を開始。



日本語ラップに少しでも精通のあるものならばご存じの名曲
「人間発電所」がb-boy やヘッズの間で大ヒット!日本語ラップの最重要classicsとしてあげられる。

彼らブッタブランドの曲を聞いてラップにはまり、ラップをしたりDJ になったりしたb-boy は数知れない。とにかくデブラージは彼ら自身の曲でも言っているように「記録より記憶残し」たラッパーだ。
死因は今の段階では不明だが、その若さという事は、事故かガンか?心臓や脳の障害か?もしくは考えたくないが自殺か薬物の副作用などの影響か?どちらにしても老衰でない事は確かだ。どんな死因であろうと彼は凄まじい功績を残したラッパーであり、多くの人からRESPECT:尊敬されている事は永久普遍である。


デブラージが曲中で言っていた言葉は
「長くぶっ太く」
しかし、ぶっとく生きる事はできたが、長くは生きられなかった。

本当に残念で仕方がない。

1990年代の日本語ラップシーンは始めバカにされていた。その頃から活動を続けラップが世に認められ始めると、他の若手などのラッパーのスキルアップでDisられる(けなされる)事もあっただろう。

おそらく想像を超える程の苦労や葛藤があったに違いない。

今はrest in peace(レストインピース)安らかに眠ってください。としか言えない。多くの感動をありがとう。

*間違いなく自殺ではないですね。彼くらいの天才ですと、多くの天才がそうしたようにそう思ってしまうもの、
凡人からは想像もできない世界観があります。 
しかし冷静になれば、推定としても彼がそんな事をするとは到底思えませんでした。失礼しました。 

デブラージの死因は癌だった可能性が高いようです。